【都市と文化】昔、マンガで読みました:蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土

共同通信より:発掘風景

『蘇我入鹿の邸宅跡か 奈良・明日香村ふもとで建物跡出土 2005年11月13日20時58分』
「奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)(標高148メートル)のふもとにある甘樫丘東麓(とうろく)遺跡で、掘っ立て柱建物5棟や塀などの遺構が見つかった。奈良文化財研究所が13日、発表した。94年には約20メートル南東で大量の焼けた壁材や木材、土など(7世紀中ごろ)が出土しており、そのすぐ近くで発見されたことで、今回の建物跡は、大化改新のクーデターで倒れた権力者、蘇我入鹿(そがのいるか)の焼け落ちた邸宅跡の可能性が高いという。同研究所は周囲の発掘を続け、日本書紀が描く蘇我氏滅亡のドラマを裏付けたい考えだ。 (article from asahi.com)」
何だか、国営飛鳥歴史公園の整備をして居たら見つかったらしい。
凄いね。
そういえば、マンガ日本の歴史でそのシーンを何度も読んだので覚えてる。
国家に逆らった罪で蘇我入鹿が首をはねられて、父親の蝦夷の邸宅も燃やされて蘇我氏が滅亡するシーン。
「何か、昔は野蛮だなぁ」って思いながら、何度も読んだのを覚えてる。
11月16日午前10時〜午後3時に見学会だそうだ。
行きたいなぁ……。
しかしね、なかなか難しいなと思うのは歴史解釈の問題。
さてはて、本当に蘇我氏は悪かったのかという話。
どの時代においても、主流派と反主流派が存在するのが世の常。
蘇我氏は、たまたま主流派に居たんだけどその後権力が移っちゃってやられるという構図だよね。
ま、これも仕方の無いこと。
多分、僕たちが歴史を習った時の解釈と今では色々様変わりしてるんだろうなぁ。

【追記】かなり前の日記なのですが、飛鳥時代の歴史が結構好きな僕として刺さったので記事化した感じです。書いた当時は何の気無しだったのですが、改めて調べてみたらここって橿原神宮の近くなんですね。おまけに、盟神探湯(くがたち)神事が行われたって記録もある場所のようで。調査は一旦2006年で終わっているようなんですが、結構確証を高めるような遺構が見つかったようで。一回行ってみたいなぁと思っていたりします。(2020.04.26 Noise)

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