【都市と文化】今、忠霊塔に来た。

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子供の頃は、この場所の意味なんて考えた事もなかったなぁ。

【追記】あまりに何も書いてない日記なので、削除しても良かったのですが子供の頃からよく知っている場所の写真だけに、ちょっと消すのもあれだなと思って写真を大きなものに張り替えました。もともと、忠霊塔自体が在郷軍人会を中心に作られたものだったようなのですが、小倉のものは陸軍要衝であった関係で墓地が追いつかなくて近所の人たちが「勤労奉仕」の名の下に駆り出されて1942年に作られた他の地域とはちょっと経緯の違う形のもののようです。

日本全国に多く建てられた忠霊塔は、在郷軍人会手動ということもあり軍国主義の香り高かったこともありGHQの政策で撤去されていったようなのですが小倉のものはなぜか残っているんですよね。この辺は、もともとの成り立ちが近隣の人が立てた(と言っても立てさせられたのだとは思いますが)事にもあるのかなぁとか想像してみたり。今も日本に残っている忠霊塔は10基くらいみたいです。そういう意味では、貴重な存在なのですねー。現在、この界隈は平和公園と呼ばれているのですがその公園内にストゥーパがあったり、不思議な空間であったことを思い出します。ちなみに、みんなよく春にはここで花見していました。いや、ここと、この奥にある森林公園は桜綺麗なんですよ。ちなみに、この丘がある場所はざっくり足立山と呼ばれていて和気清麻呂伝説の場所だったりするのですが、陸軍要衝だけにその山頂の一つが「砲台山」と呼ばれ、今も高射砲陣地の跡が残っていたりします。もし、時間があるのであればこの山の史跡的なものを巡ってみても面白いと思います。

あと、小倉城の中には第12師団司令部正門跡が今も残っています。あと、もうないんですけど僕が住んでいた頃は小倉陸軍造兵廠の残骸のような地域がずっと残っていたことも記憶しています。立ち入り禁止になってたんですけどね。場所は、大手町病院のあたり。よく、無駄な兵器の代表として謳われることが多い「風船爆弾」を作っていたのがここなんです。僕が住んでいた1990年代前半までは、給水塔の遺構が残っていたのですが、結局壊されちゃったんですよね。残念。また、今度帰った時に改めて遺構が残ってないか確認してきたいと思います。(2020.05.09 Noise)

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