『京の冬の旅』始まりました:相国寺法堂・方丈
ぼちぼち、今回公開されているお寺さんを調べてアップしていこうかと。
2月あたり、遊びに行こうかと思っております。
今日は、『相国寺【しょうこくじ】』について。
■相国寺
・正式名称:「萬年山相國承天禅寺【まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ】」
・宗派:臨済宗相国寺派(本山)
・住所:〒602-0898 京都市上京区今出川通烏丸東入
・開山:夢窓疎石
・建立:1392年
開山の夢窓疎石は、象徴的存在で(1351年に没してますので)実質の開山は春屋妙葩【しゅんおくみょうは】。
何故、夢窓疎石が開山となっているかというと春屋が義満から請われた開山第一世を固辞し叔父である夢窓疎石を開山とすれば自分が二世になると言ったから。
それだけ、足利将軍家にも影響力を持った人だったんですね。
何せ、焼け落ちた天龍寺を再建したり南禅寺の山門が旧仏教から破壊されたときに管領である細川頼之と真っ向から揉めたような気骨の人だったからかと。
細川頼之といえば、義満の後見人だよ!ヒエー!!
出身は、甲斐(現在の山梨県)。
そういえば、余談ですが現在武田家の菩提寺である恵林寺の開山も夢窓疎石です。
あの寺も相当ダイナミックだったよね。
お寺の名前の由来は、当時義満が左大臣でありその階級中国で「相国」と言った事。
また、天皇に勅許を頂くがゆえに「承天」。
と言うことで、承天相国寺となった模様です。
入れ知恵(笑)したのは、「春屋妙葩」と「義堂周信」。
時は、1382年。当時義満は24歳で、春屋妙葩は71歳で義堂周信は56歳。
そりゃー、きちんと道を歩んできた先人の意見は聞くというものです。
さて、場所なんですがこの場は当時の室町第通称『花の御所』の左っかわ。
界隈は、公家の家がわんさか立ち並んでいたようなんですが皆無理やりどかして建てたみたい。
かなり強引。
で、寺領は最大時144万坪!!!!!
今の4万坪の敷地見ても、「一体どれだけ広いんだよ」とびっくりしますがそんなもんじゃなかったんですね。
いやー、昔の寺ってやっぱ凄いや。
が、1394年にはいきなり全焼。6世絶海中津が義満に進言し1407年に再興。
しかしながら、その後まもなく1425年またも全焼(燃やしすぎ)。
足掛け約40年(1463)、再度再興。
なのにもかかわらず、その後の応仁の乱(1467)・天文の乱(1549)で全焼(ガックリ)。
流石にちょっと放置され、その後再興したのは通称『黒衣の宰相』第92世西笑承兌。
1584に再興事業がスタートし、1605年に完成。
出資者は、豊臣秀頼。
と言うことで、今回公開になってる法堂がその1605年に出来上がったもの!
そういう意味では、結構見る価値があると思いません?
ではでは、今日は此の辺にて。