【都市と文化】高津神社巡り 050906
高津在住時代の日記です。懐かしいなぁ、神社巡り。
中野界隈の神社巡り日記も、近々ちょっとずつ増やしていく予定。
散策しておりました。
神社巡りってな感じでw。
本日は、大きくは御嶽神社と関神社。
住所は、以下の通り。
■御嶽神社(みたけじんじゃ)
川崎市高津区坂戸2-20-1
■関神社(せきじんじゃ)
川崎市上小田中1-13-33
多分、御嶽神社は御岳山の武蔵御嶽神社の分祀ではないかと。
御嶽神社は、木曽の御嶽山の御嶽神社もあるけど地域的に見ればこっちの方が近いし。
マニアックな話なんですが、ここの社殿の造型は目を見張るものがありました。
風化させて行くのが、あまりに勿体無い!
だけど、畑の中にあるみたいな感じなので時の経過に少しずつ侵食されて行きそう。
残念
ちなみに、こちらは弁天様とお稲荷さんも合祀されてました。
弁天様と書きましたが、ここの弁天社の祭神は宇賀神でした。
たまたま、悪戯なのか祠の扉が空いておりまして。
中が覗けましたので、分りました。
あれ、蛇の形をした五穀豊穣の神様。
古事記では、宇賀魂【うかのみたま】として出て来ます。
なんつうか、非常にのどかな場所にありつつも歴史を感じるお社でした。
もう一つが、関神社なんだけどこれはもっと分らん!
本社は、王子の関神社なのか…..それとも鶴見の関神社なのか?
ちなみに、前者なら髪の神様。
何故かというと、蝉丸って歌人が居るでしょ?
盲目の琵琶法師で、「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」って歌を歌った人。
この人が病で髪が抜けた時に、姉の義姉の坂上(逆髪)姫が自分の髪でかつらを作ったとの伝説があるからみたい。
で、この蝉丸が関明神の化身だと考えられたから関神社の別名が蝉丸神社と言うらしい。
この関神社の大本を辿ると、滋賀県の逢坂山。
逢坂の関の鎮守として逢坂山に坂神を祀ったんだけど、いつの頃からかこの神様が関の明神と呼ばれるようになりその後鴨長明の文献にもある通り民衆が関の明神がこの世に姿をあらわしたのが蝉丸だと信じたと言う感じです。
いやー、荒唐無稽だけど何だか夢があるよね!
王子の関神社は、この滋賀の関神社の末社だと思われます。
後者の場合は、『咳きの神様』とは言われてますが…..。』
この地を開墾した自称源氏のおっちゃんが、日ごろ信仰していた蝉丸様を祭ったっていうHPを見た記憶があります。
ちなみに、幼い頃にここで753やりました。