【Monologue】尺度 060731
価値観と言うのは、本当に多様。
自らの立場、行きて来た道、環境、家族、土地、周囲の人間、あらゆる事象に寄って左右されるもの。
従って、同じ国に暮らす人であっても例えば九州と四国と本州と北海道では恐らくプライオリティーを置くものが違う。
日本は、そもそも多神教だ。
何故多神教なのか?
それは、感謝し畏敬する対象が多く存在していたから。
そう、太陽に感謝し月に感謝し大地に感謝し実りに感謝し海に感謝し嵐を畏敬し雷を畏敬し水を恐れつつも利用出来る事に感謝する。
改めて世界を俯瞰すると、多神教の土地と言うものは概ね豊穣の土地が多い事が伺い知れる。
対して砂漠の様な過酷な土地に根ざした宗教は、概ね一神教だ。
なぜなら、行きて行く為にともに暮らす人々が厳しい戒律で同じ原理原則で行動しないと生きて行けなかったから。
非常に明快な話である。
しかしながら、この多神教国家に於ける神の存在も種々の国を比べてみると生活環境に寄って文化の違いがある事も分かる。
大きく共通しているのは、概ね太陽神にあたる神が最高神になる事が多いと言う事。
不思議な話だが、日本で言う所の「八岐大蛇【やまたのおろち】」にあたる伝説も世界各地に存在していたりする。
共通項もあるのだが、環境によって大事にするものが違うしベースとなる価値観や思想にも違いが現れてくる。
そこには、時の権力者の思想も時の流れを通して行く中で盛り込まれる事となる。
そう、世界は多様で自らが根を張っていない土地の事は実際分からないのだ。
当然、価値基準の尺度も違う。
そもそも、民主主義も一つのシステムの大括りな呼び名でありであり国によって運営方法が違う。
従って、その民主主義とアメリカが呼んでいるシステムをアラブに持ち込もうとする事自体非常に難しいと言うのは考えれば分かる話なのだ。
自らの文脈によってのみ考えるのではなく、相手の立場に立ち相手を尊重すると言う事。
本来、日本人が美学として来たこの思想。
それを発揮するのは、今なのではないだろうか?
グローバリゼーションと言う言葉も、実は欧米人が創り上げた彼らの環境と歴史と思想から発したもの。
それは、西洋が求めるものであり全ての国に合致するものではないと言う事を気付くべきである。
「和」の意味を知る日本人なら、分かるはずである。