【monologue 】8月9日は、長崎に原爆が落ちた日:この日に思う事
※注意:重い日記です
決して、この事実は忘れてはならない事です。
この国には、核保有論者も居ます。
僕個人の考えとしては、そんな連中は友人にはなれないなと思っています。
さて、僕は福岡県北九州市の小倉の出身です。
皆さんはご存じないかも知れませんが、本来長崎に落とされた原爆の目標地点は小倉でした。
僕と年齢の近い方は社会科で習ったかも知れませんが、小倉は非常に大きな工場地帯でした。
戦時中は、軍需産業の中心地でありかつ陸軍の司令部もあった土地です。
それゆえ、当時原爆の投下地点として選ばれたのです。
この原爆の爆心地となるはず立った場所は、現在の勝山公園の図書館のすぐ近く。
当時の小倉の造兵廠が、目標地点でした。
さて、僕の親族は父方はみな小倉界隈。
特に、父はこの爆心予定地から幾分も離れてない場所で暮らしていました。
たまたま、同日の天気が悪かったのと八幡空襲の猛煙。
この二つがあったと言う、ある意味奇跡とも言える理由で回避され沖縄に帰る際の通り道であった長崎がたまたま雲の切れ目があった為投下されたと言う悲運があり今に至るのです。
そう、この日「たまたま天気が悪かった」「たまたま前日に八幡が空襲にあっていた」と言う二つの出来事が無ければ産まれてなかったのです。
なので、僕にとって長崎の原爆は全く持って人ごとではない事実があり。
この事が、多分アメリカを嫌悪する根っこの一つになっている事は疑いの無い事実だと思います。
そして、それが故に僕は長崎の事が自らの事の様に胸を痛める事実としてのしかかり結果として核容認論者に対して殺意を抱くのです。
「おまえは、その現実が分かっているのか?」と。
簡単に書いていますが、実際目の前でそう言う軽口を叩かれたとしてそこが階段なら躊躇せずに背中から蹴りを入れて叩き落とすと思います。
別にそんな奴は死ねば良いと思うので。日本に暮らすものとして、価値が無いと思うから。
まずは、長崎や広島を訪れそこで何があったのか記録でも良いので見て感じて欲しいです。
それは、絵空事ではなく現実なのです。
その事を知って、自分の頭で考えてもらえれば幸いです。
あと5日で終戦記念日。
この時期は、いつもその事を考えてしまいます。
1945年6月、昭和天皇陛下が終戦をお考えになったタイミングで戦争を終わらせる事が出来なかった事を残念に思うばかりです(そこまでご決断が遅れたのは、軍部の虚言による事は明らかだったりする訳ですが。まぁ、世論の流れも含め正直に言えなかったと言う事実もあり誰を責める事も出来ないんでしょうね。それが、戦争だと思います。)。
しかしながら、歴史と言うものは結果。
全ては終わった事で、そこを見るのではなく此れから先を見る事はより重要な話。
この希有な体験をもつこの国が何を胸に抱き、発言するべきなのか?
それは明らかだと思います。
おそらく、それが戦争で亡くなった方達の望む事でもあると僕は信じています。
P.S.終戦記念日に参るべきは、僕個人としては『千鳥ケ淵戦没者墓苑』だと思っています。本当は、ここで全ての方々の平安を祈れれば良いのですがなかなか政治的な意図もありそうならないようです。
本来、戦争で無くなった方々に貴賤は無く等しく祈られるべきだと思うのですが。
ちなみに、東條英機氏の孫である東條由布子女史(本名:岩浪淑枝)は靖国の合祀を後押ししてますが当の本人である東條氏は「靖国神社への合祀を戦役勤務に直接起因して死亡した軍人・軍属のみに限定し、戦地以外での死者は合祀不可とする命令を出していた(陸密第二九五三号 靖国神社合祀者調査及上申内則:1944年7月15日付)」と言う事実があったりします。
なんか、本末転倒ですよね。(要は、東條英機氏が通達した文書によれば東條英機氏は本来靖国に入るべきでは無い人間になるという話なのです)
核の恐怖、戦争について真剣に考えた結果核保有論者になったという人がいたが
その人が考えているのは理想の軍事バランスであって平和につながることではない
相互におびやかすことでしか成り立たない世界なら望んで捨てたいです
核兵器の正当化は聞けば聞くほど反吐がでる
しかしやはり平和記念日にいきたい所はヒロシマ原爆ドーム&平和資料館ですねえ
現実とか結果がとてもみえやすいところだと思う
日本人が何よりも絶対に忘れてはいけないことだと思います。
欲に目がくらんだ連中が核だの憲法改正だのと言ってますが、そいつらを階段から落とすときは俺にも声をかけてください。
日本の現在の憲法はすばらしいと思っています。
夢を持った若者。恋をする乙女、老後を楽しんでいる人、そして未来を担う子供たち。。。。そんな人達が一瞬にして消え去ってしまう核兵器。。。肌は焼きただれ、顔も判断できないほどの死体の山。なぜ核兵器を作るのか疑問っていうかあってはならないものなんです。戦争がしたければしたい人たちだけで
殺しあえばいい。あと思うのは、今でも苦しんでいる人がいるという現実です。国を動かしている人達は、この問題にもっと真剣に取り組むべきだと思います。原爆が投下されたこの日だけ挨拶する総理。。。ポーズとしか思えません。
私は実際の戦争を何も知りません。が、私の父も出身が小倉です。それも、小倉城からさほど離れていません。
数年前に父から「原爆は、小倉に落とされそうになったんだよ」と聞いた時、物凄く衝撃を受けたことを今でも覚えています。
でも、もし小倉に原爆が落とされていたら・・・私はこの世にいなくて、かわりに長崎出身の人が、私と同じような気持ちを感じていたかもしれない・・・とも思ったりもします。
今まで戦争は自分とは何ら関係のないものだと思っていましたが、こんなところでも戦争は人に影響を及ぼす物なのかと・・・。
自分が今ここにいるのは「奇跡」なのか「悲運」なのか・・・。
長崎で被爆した人たちから見たら、私や父はどんな風に見えるんでしょうか。
山さん>
これは、何処まで行っても現実なんですよね。
あなた、広島出身者だからリアルに見てるもんね。原爆ドーム。
やられた側の立場に立って、意識して世界での出来事を考える。
それは、人としてとても大事な事。
南京の話もしかりだし、従軍慰安婦の話も然りだし、八甲田山の話も然りだし、シベリアの話も然り(僕の親族、実はシベリアでも多く亡くなってるんです)。
「あった」「無かった」と言う、当事者を抜きにした馬鹿げた話で応酬する暇があったら日本人としてどう生きるべきなのかと言う根本の部分をもう少し考えてほしいんですよね。
あの馬鹿なネオナショナリスト共には。
「もっと考える事があるだろうと」。
確かに、捏造とも取れる話があるんだろうけど概ね其の地域で大規模戦闘がありその際に民間人も一緒に虐殺したのは事実でそれが何人かなんてのはどっちかと言うとある意味どうでも良かったり。
原爆もそうなんですが、「其の事実」が語られるべき重要なファクターなのでは無いかと思います。
同時に、あれを無かったと言いきられてしまうと日本人の立場として「原爆と言う事実にアメリカに対して抗議をし続ける」と言うスタンスにも影響する。
そう言うバタフライエフェクトの計算の出来ない馬鹿は発言するなと。
そう言いたい所です。
CAKRA君>
そう、押しつけだとかそう言う些末な理論はどうでも良くて今の日本の憲法は非常に良くバランスが取れた素晴らしい憲法。
是を盾に国民を守る事も出来るものなので、守るべきなんです。
やめたい人間は、フランスで傭兵会社にでも勝手に勤務して死ぬなり生きるなりすれば良い事。
この議論の問題は、当事者である現職業軍人「自衛隊」でも無い馬鹿な外様が自分は安全な所に身を置きながら語っていると言う事実。
まさに、「デマゴギー」。
汚物みたいな奴らですよね。本当に。
一緒に、蹴り落としましょ!
そういうやつらは。
SHOちゃん>
そうね、そういう事実に「国家」がふたをしてしまおうとしていると言うその姿勢にも怒りを覚えます。
なぜ、そこまでして「アメリカの狗」であり続けようとするのか?
言わせてもらえば、中国や韓国を毛嫌いしアメリカの政府が望む「アジアの火種」となる事を率先して望み行動する連中こそ『自虐』をこの国に持ち込んでいる諸悪の根源かと考えてます。
だって、敗戦国根性丸出しじゃない。
あいつら。
この国の来し方行く末にまるで誇りを持たず、形骸化した断片にすがって無菌室から叫び続けていると言う。
いや、本当にみっともないです。
希望を持って生き続け、そして無惨の死の光に焼かれ未来を奪われた多くの人々。
そして、其のアメリカは『テロ』という自らに課すべき十字架を他国に背負わせ世界の至る所で殺戮と暴力の行使を行い続けてます。
日本が行うべきは、この法律を掲げ世界最大の『テロ国家』アメリカに友人として「そいうのは、もうやめようよ」と勇気を持って言う事なのでは無いか?
そう考えます。
アメリカに対してみせるべき旗は、軍旗では無く平和の旗では無いかと。
そのためにも、しょうちゃんが言う様にまず日本の現実としっかり向き合ってほしいですね。
日本の政府は。
中2さん>
初めまして。
そうなんです。
小倉が、第一目標だったんですよ。
なので、僕らにとってはこれは本当は人ごとじゃないんです。
そして、「アメリカから日本に原爆を落とされた」と言う事実は本来日本人全員にとっても忘れがたき事実。
長崎や広島で亡くなった方々。
この方達のためにも、我々生き延びたもの達は二度とこの国が間違った方向へ死の行軍を進めない様に抑止しなければならない。
そう考えて止みません。
あなたがたの様に、若い方がこの『事実』に着いて考え語り継いで行く事がまず一番大事な部分。
日本は、「臭いものにはふたをする」と言う習慣があるためこの事を「タブー」として教育の現場で語りたがらないという事実があります。
ただ、学ぶと言う事調べると言う事はなにも学校だけで行う事では無くインターネットや図書館でも必要な情報を得る事が出来たりします。
是非、この事実についてあなたも調べて自らの知識としそして「忘れず」に居てほしいと思います。
コメント、どうもありがとうございました!
修学旅行にいく人ですが 戦争はとってもこわいですね しっかり勉強します!