【Diary】レジ袋を有料化する理由とその結果検証について考えておくべき事のはずが話が凄くずれてしまった
何となく、自分の生活にも関わる事だし7月1日(水)から有料化になるお店も多いのでちょっと整理してみることにしました。そもそも、何でスーパーでレジ袋を配ってるのかとか、何でただだったのかとか、その効果とか問題を整理しないで「レジ袋=悪」とする「0% or 100%」に強い違和感を感じていたことが第一番目の理由。次が、エコバックをネコも杓子も作り始めて濫造し結果として「これゴミなってないか?」と思ったこと。このゴミと化しつつあるエコバックをLCA的な視点(Life Cycle Assessment)で見たときにどうなるのかが気になったというのが理由です。
確かに、「ゴミを減らす」という事象に意識を向けるという事は大事な事ですが、「本来何のためにレジ袋を減らし、何をもって成果となすのか?その指標を、いかにしてもつのか?」という視点を持ってこのムーブメントを動かさなければ結果良かったのか悪かったのかが評価できません。また、「実施することを目的化」する事で本質を捉えずにことが動くことが最も危険だと考えたからです。
SDGs に注目が集まる昨今、SDGs 的なことがもてはやされ、「それ、本当に結果としてエコなの?目的は?」という本質を忘れてしまっている事もあるかなぁと思っていたりします。こういうことを言うと、同調圧力を求められると同時に「消費社会の信奉者」的なレッテルを貼られる事もありそうですが、僕はデータ観測者の視点から正しく物事をデータから捉えたいと言う意思から、このことを自分の知的欲求の充足視点で過去に書かれた文献などを引用基としながら自分なりに解釈しまとめていきたいと思っております。
自分の生活で言えば、僕はできるだけ自宅で食事を作り、買い物はできる限りスーパーより小売店を優先し、通販での買い物は避けている人です。これは、下記の理由によるものだったりします。
- 明らかに肉質や鮮度が良く、結果コスパがいい
- バラエタルに富んでいること、またその場で加工してくれる
- 「商店街=町」であり、結果として街の活気が上がる
- ちょっとした会話がある
まぁ、これは感覚値なんですが確かに大規模小売店舗の方が結果としては見た目上の廃棄は少ないかもしれないのですが、物流面においてかなりの環境負荷を与えているのでは無いかと言う予想と「本来取引されて然るべき価格」から大幅に減額した上で買い上げ結果としての低コスト化→低賃金を生み出しているのでは無いかと考えているためです。
例えば、10KG6,000円のコシヒカリがあるとします。これを、農家が直売で販売するとそのままの利益となります。また、そのお米を運ぶ際に発生するロジスティック部分は集配にかかる宅配便の物流のみになります(まぁ、宅配便が集配センターに行き、大型トラックで配達先の集配センターに行き、その後小分けにして家庭に運ばれると言う意味では3回なんですが….)。これが、お米屋さんでの取引になるとお米屋さんのマージン+物流コストが農家負担になるのでざっくり「お米屋さん1.5割(900円)+仲卸1割(600円)+卸取り分1.5割(900円)+物流コスト(600円:多分大量に運ぶので宅配より安いはず)+農協の取り分1.5割(900円)+農家取り分3.5割(2,100円)」とかこう言う感じの構造になっていると思います。農家の取り分と言っても、ここから人件費や農機具のコストなどの生産コストが差し引かれるので正直な話成立しないビジネスのなっちゃってるんですよね。まぁ、実際この卸売のシステムは過去においては買い手を積極的に卸売が見つけてきてくれると言うメリットがあったのですが、今となっては「誰が買い手なのか?」が明確なため、通す意味合いがかなり薄まっている割にかなり高額なマージンを抜き取られているのだろうなーと思います。「卸にも生活がある」と言う意見もあるかもしれませんが、構造改革を行わない限り共倒れしますよね。。。。
こう言う事もあって、今若手のグループはインターネットを駆使して直販を試みていると言うのが現実的です。ちなみに、うちはお米に関しては農家から直で購入しています。野菜もこれができるといいなーと思うのですが、なかなかここは難しくで実現していません。
鮮魚に関しては既にこんなサービスがあったりします。
サカマショップ
これ、5年前に立ち上がったベンチャーで朝採りの魚を直で取引できるシステム。なかなかすごい話ですよね。義実家が漁師町なので、市場での価格を知っています。それを知っているが故に、「何でこんな価格で売られてるの?」って言う感じのことがしばしば。逆に、この「何でこんな価格で?」に近い形で漁師の人たちが魚を直売できたら一次産業としての漁業がもっと魅力的な職業になると思うのですよね。デジタルの人として、そう言うことができないかなぁと思っていたら同じようなことを考えていた人が立ち上げてくれていると言う。いや、デジタルはこう言う方向の進化をさらに遂げてほしいと思うのです。そして、もっとこう言う取り組みが広がり世に知られて行くと良いのになぁと思ったりします。
ホリエモンが和牛マフィアをやってる理由も、確か「本来もっと高額で取引されるべき和牛が買い叩かれている事に感じることがあって始めた」とアドテックTOKYOあたりで話していたのを覚えています。
何となく最早無くなってしまった「ダイエー」と言う企業の中内功氏が推進した価格破壊(安いは正義)的な考え方をやめて「持続可能な社会ってなに?」ってことを商品の価格からも考えていかないと「健康で文化的な最低限度の生活」からどんどん離れていきますとね。何となく、日本人は自分たちが豊かだと勘違いしているけどこの低価格化の余波で結果として負のスパイラルに陥り、結果としてあまり豊かでは無い国に成り果てていると言う現実に気づいた方がいいと思います。これ新自由主義の結果だったりするので一旦立ち止まって僕らは「これから」について考える時がきたんだと思います。コロナの結果だったりもするけどさw。SDGsは、まず足元の生活から考えていきたい人です。
やばい、もともとレジ袋の話のはずが完全に論点がずれている。と言うことで、また別の機会にレジ袋の話を書きたいと思います。僕は、「有料化→正しく活用→ポイ捨てしない」で良いのだと思っているので。