【都市と文化】水道道路と新上水の話
みなさん、こんばんは。ここのところ、ずっと調べてた水道道路(東京都道431号角筈和泉町線)のお話です。水道道路については、もともと荒玉水道道路を通って用賀に向かっている際に「この道路何?」って10年前くらいに感じたところが発端。
なんとなく、「水道管が下に通っている道?」くらいの認識でした。
実際に、荒玉水道道路はそういうものでもあるのですが、笹幡界隈のものは明らかになんか性格が違うのではないかと感じていました。
その1番の理由が、「六号坂通り商店街」だったり「幡ヶ谷六号通商店街」だったり「笹塚十号坂商店街」だったり「十号通り商店街」だったりという、商店街があったこと。
これも、自転車で東京を縦横無尽に駆け回ったからこそ気づいたことなんだけどね。
この番号が一体何を指しているのかについて、色々調べ始めたのが3ヶ月くらい前。
なんとなくは、この水道道路と関わっていることがわかってきてたんだけど、決定的なものになかなか当たらなくて。
色々探しているうちに、東京都水道歴史館に行き着き、ここで公開されている写真をみてやっと理由がわかりました。
資料 / 近代水道写真館 / 04_淀橋浄水場(東京都水道歴史館アーカイブシステム)
ここの道は、本当に水道が通っていた道路だったんだなと。
全く知らなかったんですけど、都庁の場所って元々「淀橋浄水場」だった場所なんですね。 ちなmにこの地図の発行は明治四十四年九月五日。まだ、界隈が「大字角筈 字二丁目道裏」だった時代。
角筈二丁目という地名は消えましたが、甲州街道沿いに小田急バスや都バスの「角筈二丁目」ってバス停があったり、ワシントンホテルの地下に「つのはず食堂」ってお店があったり、亀のドデカイペンキイラストで有名な「萬年屋」さんの前の建物は「新宿区立角筈地域センター」だったりで、昭和の大合併の中で地名はなくなれど、生活の中にこの地名が残っていたりします。
さて、話は脱線しましたが、この地図の左下の方をみてもらうと浄水場から川っぽいものが伸びてるじゃないですか。これが、「新上水」。1899年(明治三十二年)に竣工した水路で、曲がりくねっていた玉川上水だと使いにくかったのだと思いますが、村山貯水池(多摩湖)から境浄水場経由で和田堀給水所に引き込み、ここからまっすぐに土手を作って水を引き込んだのが、「新上水」。なかなか壮大。
これ、すごく残念なんですがせっかく作ったのに、1923年(大正十二年)の関東大震災で決壊。これを機に、甲州街道の地下に導水管を埋設することが決まり、わずか24年でこの上水は役目を終えてしまっています。
この「六号」だったり「十号」だったり、「十三号」だったりする呼び名なんですが、これはこの上水にかかっていた橋の番号なんです。僕がよく行く笹塚の商店街は「十号」なので、淀橋浄水場から数えて10番目の橋。この地図の真ん中へんに、「字北笹塚」の文字がありますが、この「字」の字の真上の橋が「十号橋」。現在の十号坂はその北側です。盛り土をして水路を作っていたので、橋を渡ると下り坂になってる感じですね。そういうことを知ってから歩くと、また違った景色が見えてきます。
今も、笹幡の賑わいがこの水道道路沿いに広がっているあたりから見ても、この道の存在というのはなかなか大きいなーとか思っていたり。
あと、自転車乗りとしては車が多い上に自転車道があんまりはっきりしてない上に路駐を鬼のようにしている甲州街道より、この道のほうが走りやすいし楽しいというのもあって、最近はもっぱら水道道路がお気に入り。
江戸時代からの上水の界隈もそうなのですが、高低差がないのもいいんですよね。
界隈、美味しい店が多いし。
本当は、和田堀給水所の話まで書ききりたいところなんですが、今回はここまでということで、また別の機会に書きたいと思います。
そうそう、ここの通り沿いの公園も結構このナンバリングに沿っていて「六号」「七号」「九号」「十三号」の公園があります。
個人的に、「七号通り公園」にある「七号通り公園トイレ」が可愛くて好きです!
最初、これ見たとき一体何かわかりませんでした。
ちょっと前に行ったときは、誰でもトイレが壊れてたけど、治ったかなぁ?
リンクしているサイトも面白いので、ぜひ見に行ってみてください(*´∀`*)
■七号通り公園トイレ
〒151-0072 東京都渋谷区幡ケ谷2丁目53
https://tokyotoilet.jp/nanago_dori_park/