来週に迫りましたね、酉の市!:新宿花園神社他
今年も、酉の市の時期がやってきました!
さて、一応簡単に。
酉の市の『酉【とり】』は、文字通り十二支の酉。
従って、12日に一度やってきます。
今年は、11月9日(水/丁酉/大安)と11月21日(月/己酉/大安)。
両方とも平日だ……。
と言っても、新宿は前夜祭があるので11月20日にはいけそうですね。
都内の主要な酉の市
■大鷲神社(足立区花畑7−16−8/酉の市発祥の地)
■浅草鷲神社(台東区千束3−18−7)
■花園神社(新宿区新宿5-17-3)
■大鳥神社(目黒区下目黒3−1−2)
■北野神社(中野区新井4-14-3)
■天沼八幡神社(杉並区天沼2-18-5)
行きたいところと、いけそうなところをピックアップ。
他にもたくさんあるんだけど、もうめんどくさいので割愛w。
さて、酉の市なんですが発祥は花又村(現在の足立区花園)の大鷲神社にて。
時代は、江戸時代。
所謂、今年もありがとう的感謝の奉納行事で(所謂収穫祭)最初は鶏を奉納していたみたいです。
大鷲だけに。
で、まぁ人の集まるところには商売が成り立つもので辻賭博で大賑わいだったみたいですね。
今でも、駅前はパチンコ屋があったりするんですが
これって昔の辻賭博みたいなもんだなぁってちょっと感慨にふけってみたいしてw。
安永期の賭博禁止令でこの賑わいは一時落ち着き、祭の喧騒は徐々に浅草にシフトしたとか。
その中心となったのが、浅草の鷲大明神みたいです。
当時は、長國寺がこの神社の別当(経営者みたいなもんね)だったらしく鷲妙見大菩薩の出開帳【でがいちょう】が長國寺で行われたこともあいまって相当盛り上がってたようです。
その後、明和8年に鷲山寺から鷲妙見大菩薩が迎えられてからはより一層。
場所的にも、やっぱり吉原が近いってのがこの地のメリットだった様です。
この長國寺ってのが、色々大変な目にあってて神仏分離令で鷲神社と分離。
本堂がなかったのか、塔中の了遠院を本堂として使いつづけ大正6年に念願の本堂を落慶するも大正12二年の関東大震災で倒壊。
翌年に仮本堂を建立し、ちょっとの間安定するのだが昭和20年に東京大空襲で焼失。
戦後昭和24年に材料もままならないままに本堂を何とか建立。
平成2年に、やっと山門と新本堂を建立。
東京のお寺さんって、大変だったんですね。
で、何で「熊手【くまで】」なの?って所なんですが諸説あるようです。
そのなかでも、「ああ!」って納得した話。
そもそも、祭は人が集まるところなので当然商売が発生します。
その中には、農業地であったため当然農具を売る商人も多々お店を開くことに。
もちろん、それと同時に食べ物やさんも色々軒を連ねます。
食べ物系では、唐の芋(サトイモ科サトイモ属のホクホクした感じの野菜)や粟で作った黄金餅が売れ線だったみたいです。
「掃き込む、かき込む熊手」と大きな唐の芋「頭の芋」、粟で作った黄金色の「黄金餅」。
その三つが合わさって、今の熊手のルーツを作ったようです。
思ったより、歴史が深かったよ。