【Music】青山ロックンロールショー・アンコールから帰ってきました 090510
本日は、既に用事が入ってて結局龍が寝るまでは動けない状態に成り。
「駄目かなー」と諦めながらも未練タラしく2chの実況見てたら…….、21時21分の書き込みで「まだ後1時間くらいは入れるみたい!」と書いてあった情報を頼りに速攻で準備。
21時40分過ぎに出発。
電車で行く事も考えたんだけど、ボスの最後のショー見に行くのに自転車で行かなきゃ失礼だろって事で自転車で向いました。
実際、この時間帯だとぶっ飛ばせば自転車の方がスムーズだったりするのもあり。
ある程度の方向とか把握してるんだけど、細かい路が分からんので大通りを中心に進む事1時間弱。
会場と成る青山葬儀所に着いたのですが…….、守衛さんから「もう、入場は閉め切ったんですよ。30分前に。」と言う宣告。
21時に出れば、間に合ってたのか。
まぁ、無理だったからしょうがないけど。
でも、ちょっとでも見たいと言う思いと「もしかしたら、アンコールが!」という淡い期待を胸に正門に向ってみた所結構沢山の人が入れずに門から眺めてました。
一部の押さえきれない人たちは門や生け垣を越えて突入してたんですが、僕ですら若い部類に入るRC時代からのファンが多かった所為か続けてなだれ込むと言う現象が起きる事無く静かに呆然と会場を遠くから見つめる静かな空気。
なかなか諦める事が出来ず、23時半を回った頃空気が少し変わり始めた。
この辺は、ロックだなぁと思うんだけど一人の男性がアンコールを求め始めた。
「5分で良いんだよ!絶対に約束守るよ!」
そう、僕らは多分みんなそう思ってたのよ。
みんな、様々な思いを胸にここに集まって来てる訳でただただ最後にボスに会いたかっただけなの。
最前列の荒ぶった子が、警備員にスタッフに話をしてみてくれと何度も詰め寄る。
そんな状態が30分も続いた頃、ちょっとした贈り物が届く事に。
見かねた関係者の方達が門の所に集まり、僕らのメッセージを清志郎に届ける機会を作ってくれたんですよ!
時間はもう、0時を回ってたと思います。
彼らも、本当に大変だったと思います。
でも、嫌な顔をする事無く、深夜にもかかわらずこの対応。
「ああ、素晴らしいな」
そう、素直に思いました。
見かねた清志郎が、「みんなに、アンコールを贈ろうよ!」そう言ってくれた気がしました。
ボスがそういう人だったから、周囲もそういう人が集まり、周囲がそうだったからこそ、ボスはいつまでも変わらずに居られたんだと、そう思います。
集まった人たちも、みんなそういう空気を持ってました。
ああいう『場』と成ったのは、やっぱり清志郎の人格から溢れ出る空気に触れたが故の予定調和なんでしょう。
思えば、小学校5年生のとき『い・け・な・いルージュマジック』が始まり(初めて聞いたのは「僕の好きな先生」ですが)。
当時、僕はいとこの影響でY.M.O.にハマってました。
で、この曲が出たときに「坂本龍一だ!」ってことで聴いてたんですが横の変な化粧したおっさんにも釘付け。
資生堂のCMソングでもあったんですよね、これ。
なので、気にしなくても兎に角聴く機会が多かった。
シングルレコードも持ってたんだけど、無くした…..。
YENレーベルとか、そういうのを聴く機会も多くなり当然の様にRCも良く聴いてた変な小学生でした。
考えてみたら、洋楽中心で日本のは殆ど知らないし聴かなかったんだけど「Y.M.O.」「RC」「矢野顕子」「ヤプーズ」あたりはアホみたいに聴いてましたねー。
で、高校生の頃あの「COVERS」騒動勃発。
『素晴らしすぎて発売できません』
の名コピーは、今でも頭に残ってます。
この時代あたりから、広告と言う物に注視し始めたんだと言う事を思い出したよ。
コピーの重要性について、凄い衝撃を覚えましたもん。
あー、いろんな影響受けてるなあ。考えてみると。
そういえば、ザ・タイマーズがいろんなアーティストのライブに勝手に飛び入りするのを雑誌で読んだりして(当時は、ネットとか無いし僕は福岡の田舎に住んでたんで)爆笑しながら進学校だけに数少なかったロックな友人達と「次は誰の所に行くんだろうね?」って盛り上がっていたのを今でも思い出します。
その後はテレビに役者としてちょこちょこ出たりしてたんで「あ、清志郎だ!」とか思ってたんですがまた1999年にやってくれましたよね。
『冬の十字架、君が代事件』
やっぱ、あなたは最高ですよ。はい。
「ロックって、こうだよねー」って改めてかんがえさせられました。
「自分が何をやりたいのか?」と言う事を考え、折り合いよりも先に行動する。
ロック魂だ。
ああ、本当はもっと書きたい事があるけど書ききれないですよ。
そんなあなたが、長い旅に出る事になったので今日はお礼とお別れの挨拶に行きましたよ。
声は、届いたかな?
僕が聴いていた数少ない日本のロッカー、忌野清志郎師の旅立ちを静かに祈ります。
「また いつか会いましょう。夢を忘れずに!」
【追記】まさかの癌再発からのですからね。ファンとしてはショックが大きかった。ただ、本当に最後までボスはロックだったなぁと。本文が熱すぎるので、追記はここまで。そうそう。出来れば、僕的にこのリンク先の記事を読んで欲しいと思っています。とても丁寧に書かれた記事で、清志郎を知らない人でも、この記事を読むことでその人となりを知ることができると思います。改めて、ご冥福をお祈りいたします。(2021.01.09 Noise)
■ 音楽偉人伝 第12回 忌野清志郎(ソロ編)夢助よ、いずこへ
https://natalie.mu/music/column/340153
土曜日も遅くまで仕事だったので行きたかったんですけど。。。残念です。おいらRCにハマったのは、雨上がりの夜空にがヒットした頃(確か中学生位)すね。当時TVK(テレビ神奈川)でファイティング80というロック中心のライブ番組があって、鶴見の会場で見たのが初RC。それからもうハマりっぱなしでした。うちのアニキも大好きでRCのレコードとか全部買ってたので、俺は買う必要なしwCOVERS騒動とかTIMERSとかリアルタイムで楽しんでましたね。歌詞が分かりやすくてメロディとメッセージがズドーンで響くのは忌野さんだけでしたね。きっとノイズ君もファンだと思ってましたよ。